下林明正のブログ

個人的かつ雑多なブログです。

幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない を読んだ

自己啓発の教科書 を読んだ - 下林明正のブログの流れで読んだ。

タイトル的に幸福論みたいなのが中心なのかと思いきや、思った以上にマインドフルネスがっつりな本だった。 大体以下のような内容だった気がする。紙の本しか入手できなかったのでふりかえりがしづらく、かなり間違っていたり端折っていたりすると思う。

  • 幸福の罠
    • 永続的な幸福は無い
    • 人類が進化の過程でそのようになったから
      • 常に不安を感じている方が生存に有利だったから
  • 感情を完全にコントロールすることはできない
    • コントロール戦略には闘争戦略と逃走戦略の2つがある
    • ある程度までは有効だが、実際はコントロールできないものも多い
    • コントロールできないものをコントロールしようとすると、様々な弊害が現れる
  • だから、コントロールできないものを受容して今を生きることが大事
    • ページの大半(8割くらい?)は受容のテクニックに関して
    • 思考する自己、観察する自己、というのがキーワードだった気がする
      • 思考はあなたの一部ではあるがあなた自身ではなく、流れ続けるラジオのようなもの
    • 役に立つ思考にだけ耳を傾ければ良い。役に立たない思考や感情は否定や回避をするのではなく、居場所をつくってあげて受容して、ただ流れるに任せる
  • 自分の本当に大事にしたい価値観に従って行動することで、充実した人生を送ることができる

最後の方の33章がまとめになっているので、思い返したくなったらとりあえずそこから読むと良さそう。

幸福の罠に関しては特に新しい情報は得られなかった。 ちなみにこういう考え方はどうやら進化心理学と呼ばれるものっぽく、それなりに批判の対象にもなっているようだった。留意しておきたい。

個人的にはあまり受容のテクニックに関心が無かったので、ちょっと違ったなと思って結構読み飛ばした。 受容のテクニック自体は有益なものだと思う。たしかこの本の序盤を読んでいたころに体調を悪くして不安を再生産しやすい状況になっていたので、そういう時に役に立った。また、普段から自分はネガティブな思考が起きがちではあるので、使い所は多い。 ただ、初歩的なテクニックで十分な効果を得られていた感があり、それ以上を深く追求するモチベーションがあまり湧かなかった(人間は大体、喫緊の問題に対してのみしか本気になれない……)。 もっと激しい苦痛やトラウマに見舞われたら読み返すかも知れないけど、そうならないことを祈っている。

気になった点として、役に立つ思考にだけ耳を傾ければ良い的な主張はまあ確かにそうなんだけど、どことなく危うさを感じるところでもあった。 以前読んだマインドフルネスの軍事利用と大衆支配の構造 - 仏道修行のゼロポイントのことを思い出してこういうところが引っかかったんだと思う。 包丁みたいなもので基本的には便利なんだけど、倫理観が無いと凶器にもなりうる怖さがあるというか……。

完全に余談だけど、銃夢というマンガのどのあたりだったか(銃夢の終盤か銃夢LOの序盤だっけ?)に主人公が目を覚ましたときに空中都市から落っこちそうになっているときに状況を受容するシーンがあった気がするんだけど、あのシーンを思い浮かべた。

価値観に従おう、という話は最近別件で受けたコーチングでも言われたことで、大事だと頭では思いつつ実際には自分自身の原理原則として日常では使えていないと気付かされた。 内発的動機づけなどにもつながることで、自分の人生を生きるということは自分の価値観に従うということなのかも知れない。 パフォーマンスという観点でも、内発的動機づけに基づいている方が高いと言われているとも思う。 本当に大事にしたい価値観を見つけるためのエクササイズも個人的には良かった。 主にこのあたりのパートが関心の対象だったのだけど、ページ数的にはそんなに多くはなかった。

受容のテクニックに関してはティーチング的、その上でそれを活かしてどう生きるかについてはコーチング的な内容だったかと思う。それはそうで、宗教や哲学の本ではないのでどう生きるかに関しては本人が考えることを手助けすることしかできない、というスタンスなのだと思う。

追記

今十分に受容できるかというと全然そうじゃないなと思い直した。

その瞬間のネガティブな思考みたいなのはまあなんとかなってるとしても、ナラティブを伴ったネガティブな思考みたいなのは普通に受容できてない感がある。

「今を生きる」というのは、多分そういうナラティブも込みで受容して、結局変えることができるのは今この瞬間のことだけ(過去は変わらないし、未来も分からない)に集中する、ということなのだと思う。

言うは易く行うは難しとしか言いようがない。