- アジャイルとは、トライアンドエラーを効果的に行うための知識群、だと思う
- トライアンドエラーするのはどういうときかというと、やってみないと分からないとき
- やってみないと分からないときはどういうときかというと、その時点での能力を超えた仕事をするとき
- 能力を超えた仕事をするとき、成功が目的であることに変わりは無いけど、計画と実行よりも学習と軌道修正が重要になる
- 最初に立てた計画は間違っているため
- プロダクト開発の領域は大雑把には、ディスカバリーとデリバリーに分けられる
- ディスカバリーにおいて十分な能力を有している=つくるべき正しいものを見極められている場合、ディスカバリーにおいてアジャイルである必要は無さそう
- 例えば、受託開発のような場合はつくればお金がもらえるということになっているので、アジャイルになろうというモチベーションは低そう
- デリバリーにおいて十分な能力を有している=やるべき正しいつくりかたを見極められている場合、デリバリーにおいてアジャイルである必要はなさそう
- 例えば、手慣れたWordPressのセットアップでお金がもらえるなら、アジャイルになろうというモチベーションは低そう
- 能力を超えないわかりきった仕事で飯を食っていけるなら、すべてを見通せるので最高効率でリソースを使えて、良い状態
- ただ、わかりきった仕事でどれくらい・いつまで飯が食えるのかというと、そこはよく分からない
- 基本的にはみんな真似するだろうし自動化したら良いので、駆逐される運命にあると思われる
- ので、きっと以下のようなことが大事そう(重要さ降順)
- なるべく競争しない
- 必要とされる能力のしきい値を下げられるため
- 言語や法律や地理の壁で守られているとうれしい
- なるべく能力を伸ばす
- トライアンドエラーを小さく・少なくできるため
- なるべくアジャイルになる
- トライアンドエラーを効果的に行えるため
- なるべく競争しない
- その上で、ディスカバリーとデリバリーそれぞれについてアジャイルになるべきなのかどうか考えると良さそう
- 世の中のアジャイル論は大体ディスカバリーとデリバリーの両方がターゲットになっているように思う
- 結局、競争からは逃れられないということなのかも知れない(我々は競争に仕向けられているので)
というようなことを暇で考えていた。