最近、様々な面で課題にとにかく向き合い続けるのが良いのだろうと明に思っている。
- 問題 vs 私たち - shimobayashiパブリックなどと一般的によく言われている
- 組織変革系の本をいくつか読んでみたけど組織変革の進め方 - shimobayashiパブリックに書いた通り結局課題に向き合うしかなさそうだった
- 開発プロセスの変遷モデル - shimobayashiパブリックも結局目の前の問題に向き合い続けることでしか状況は変わっていかないのだろうという考え
- 感情的な面でも、自分は割りと傷つきやすい性格だけど自分と課題を切り離すことでダメージコントロールできるのでは、と思う
- だいくしー on Twitter: "結局問題を解決しないといけないのはその人自身なので、感情や事情をこちらが受け止める必要はないですよね。もちろん傾聴はします。そして問題解決に構造的な手助けが必要ならそれはマネージメント課題としてこちらがボールを持つこともある。"という考え方はそうだな、と思った
- Insight を読んだ - 下林明正のブログにもそんなようなことが書いてあったような覚えがある
ただ、誰もが課題に向き合い続けることができるわけではないと思っている。 例えば「コードレビューで指摘されると傷つく」みたいな話をよく聞くし自分もそういう経験があるけど、それも課題と自分を分離できてないからだと捉えている。
課題と自分を分離するためには、以下のような要素が重要な気がする。
- マインドセット
- 「これはそういうもの」という心構えくらいのニュアンス
- おそらく学習や教育が可能
- なんなら「俺たちはこういうマインドセットで仕事してるんで!」と言うだけでも効果はありそう
- 仕事以外の土台を持つ
- 仕事=自分みたいな価値観で過ごしてると、否定的な指摘などを受けたときに自分のすべてを否定されたような気持ちになり、耐えられないと思う
- 「がんばって書いたコード」みたいなのもこれにあたりそう。周囲からしたらがんばったかどうかはどうでもいいんだけど、当人からするとそこに感情移入の余地があるみたいな
- これが例えば、ミュージシャンを目指す若者が昼の仕事としてファミレスでバイトしてて「お前の接客はクソだな」とか言われても、金がもらえればどうでもいいので比較的傷つかないような気がする
- 家族とか、趣味とか、何でも良いけど「仕事は俺じゃねーし」と思えるような余白が結局仕事には必要なんじゃないか
- 自己実現みたいな文脈には反しているかもしれない。プロフェッショナリズムとは反していない気はする
- これはすぐに手に入れるのは困難なので、少しずつ育てていくしかないと思う
- こういうのを2~3持っておくとすごく精神が安定する、みたいな言説をちらほら見かける気がする
- インドア趣味、移動系の趣味、アウトドア趣味があると良いとも聞いた覚えがある
- 率直に言うと「自信」なんだけど、自信は幼少期の経験とかが大きい印象を僕は持ってしまうので、あえてその言葉を使わずに考えてみた
- こういうのを2~3持っておくとすごく精神が安定する、みたいな言説をちらほら見かける気がする
- 仕事=自分みたいな価値観で過ごしてると、否定的な指摘などを受けたときに自分のすべてを否定されたような気持ちになり、耐えられないと思う
- 言う側も配慮する
- ここまでは受け取る側のことばっかり書いたけど、伝える側も本来は意識できると良いことは色々あるはず
- 同じことを伝えるにしても言い方は色々あるはずで、わざわざそんな攻撃的な言い方する必要なくない?とよく思う
- 攻撃的な物言いをすることで相手が「課題と自分を切り離す」のを邪魔しているということに気づけてないんだろうなあ、と評価してしまう
- 攻撃的な物言いが必要ならしたらいいと思う。本当に必要かはよく考えたほうが良いと思うけど
- まあ、他人を変えるのは難しいし、自分もそんなにできているわけではない。基本的には受け取る側=自分を変える方が楽だとは思う
- 攻撃的な物言いをしてくる人がいたら「こいつ分かってねーな」と分断できるのは役立つかもしれない
他にも親身になって疲弊するマネージャーたち。感情労働としてのマネジメントを考える | Q by Livesenseで
手助けに焦点をあてる
と書いてあるのもそうだな、と思った。そういえばInsight を読んだ - 下林明正のブログにもやっぱり似たようなことが書いてあったような気がする。
ここまで書いて、「仕事は俺じゃねーし」ってのは秀逸なフレーズだなと思った。そうなんだよな、仕事は俺じゃない。釣りも俺じゃない。俺はその間を都合よく行き来してれば別にそれでいい。