ちょっと前にこの記事を読んで良いなと思った。
ので自分も何か書こうとしてたけど、うまくまとまらずに下書きのまま放置されていた。 でもやっぱりこの記事良かったな、と思い出したのでとりあえず思いついたことを書いておく。
何がそんなに良いと感じたのかというとおそらく、コンプレックスとか不安を認めた上で内発的動機づけに忠実であれということが平易に書かれている、というのが今の自分に響いたんだと思う(このアーティストのこと自体はフリースタイルダンジョンに出ていた人やな~くらいのことしか知らない)。 もっと平たく言うと、こういう考え方でええやん真似しよ、みたいな感じ。
まあ言うは易しで、これはコンプレックスや不安を抱えてまでやりたいことって何ですか?っていう問いが突きつけられるということでもありそう。けど、それはそれでとりあえずそれなりにやってみたら良いんじゃない?とか、それなりにやりつつ時間をかけてもっとやりたいことを探したら良いじゃん?とも思った。
あとはやっぱり、実際にはやりたくないこともやったほうが要領よく生きていける、というのは当然あるというか、むしろそういうことの方が多いと思う。でもきっと、そうやってやりたくないことばっかりやっていると自分に軸がないので結局コンプレックスや不安に圧し潰されてしまう、というバランス感覚を持つべきということだと受け取った。
ここで個人的に気をつけたいのは、やりたいことが見つかっても自分で分解してしまわないようにする、ということ。このあたりはニュアンス難しいんだけどイメージとしては
スポーツ選手なんかが本とかを書いて言語化してしまうことでデティールが失われてスランプに陥るみたいな話が結構印象に残ってるんだけど(どこで聞いたのかは覚えてないし事実かどうかも知らない)、何でもかんでも掘り下げようとせずにあえてそのまま大切にしたほうが良いこともあるんだな~~と思う
— 𝙨𝙝𝙞𝙢𝙤𝙗𝙖𝙮𝙖𝙨𝙝𝙞 (@shimobayashi) 2020年6月10日
といったところで、「なんでこれやりたいって思ってるんだろう?」って無理に言語化して分解してしまうとだんだん自分でも分からなくなって、二度とやりたいと思えなくなることがあるので気をつけよう、という話。機械を分解して遊んでいると、組み直しても動かなくなってしまう、というような感じ。
このあたりはハイアウトプットマネジメントに書いてあったレポート化を通じて理解を深めるというような話と対照的であることにもふと気づいて、個人的にはおもしろい。言語化が難しい領域においては、レポート化を通じて却って理解が損なわれることもあるということなので。
実際に昔自分はそれでゲームをつくる趣味を壊してしまったので、今ハマってる釣りに関してはあえてやる理由は考えないようにしている。ただひたすらに、気の向くままでいるようにしたい。
つい先日34歳になってしまって、いい歳してこういう日記をインターネットに書いているのは厳しい気がする。 でもまあ、まさにそういうカッコつけみたいなのが自分で自分の首を絞めてると思うので、歳相応というよりは身分相応でやっていきたい。