なぜゾンビゲームが乱造されるのか

ここ数年間特にアメリカではゾンビゲームが乱造されているように思う。

それは何故だろうか? 結論から言うと、ユーザーと開発者の両方にとって都合がいいからである、と考えている。

ユーザーにとってどう都合がいいかというと、やはり「俺でもゾンビなら倒せそう」と感情移入できるところだろう。 健全な日本人中学生なら授業中に特殊部隊が突入してきたところをハチャメチャに返り討ちにする妄想をするものだけど、この幻想はそういう性質のものだ。 それを裏打ちするように、Walking Deadの流行などの影響もあるだろうけど最近ではサバイバル系のゾンビゲームが幅を利かせている。

開発者にとってどう都合がいいかというと、「ゾンビだから動きが遅くても良い」「ゾンビだから最悪動かなくても良い」「ゾンビだから残虐表現をしても良い」「ゾンビだから馬鹿でも良い」「ゾンビだからいくら出てきても良い」などといった技術的・シナリオ的なメリットが多く目立つ。 とにかく都合が良いのだ。

「ゾンビ」はジャンルを超えて一つの発明として昇華されていると思う。 これは、例えば日本でいう「ループもの」のようなものだろう。

という話を会社でしたら案外ウケが良かったので、日記にもしたためてみる。