27歳になった

26歳としての1年を振り返ると、半分以上は余裕無い感じだった。

6月〜10月は転職と引越しで忙しかったし、10月〜12月は新しい会社に馴染もうと必死だったし、1月〜2月は体調が滅茶苦茶だった。3月からようやく落ち着き始めて、6月に至るって感じ。となると、半分どころか4分の3くらいは意識なんて無かったかもしれない。 まあ、何だかんだで良い選択をしたと思う。

27歳としての1年は、想像がつかない。正直に云えば現状に満足してしまっていて、欲望があまり無い。だから未来も組み立てられない。でも、それじゃさすがに不安だよなという気持ちもある。

裏を返せば、これまでは低レベルなところで満たされていなかった欲望というものが満たされてしまって、より高いレベルでの欲望について考える余裕が生まれたということだと認識している。 こういうときに情熱というものがあればそれに従えば良いのだから楽なのだけど、残念ながらこれまでの自分は情熱を守ってこなかったので特にそれもない。 普通の人はここらで結婚でもして子供でもつくってるころだろうから、こういうことを考える余裕というか必要性も無いのだろう。

なんとなく周りをみてみると、いみじくもシステムエンジニアとして飯を食ってるわけだから技術を追求しようというような機運も感じるのだけど、どうにも僕はそういう気になれない。 結局自分にとって技術は表現の道具に過ぎないのだから、表現を制約しない限りは技術をどうしようという気になれない。 そして特に表現したいものも無いわけなのだから、技術を追求する理由もない。 多くの人が高度な技術を持ってしておもしろくもないものを生産しているところを見ると、なおさらその気持は強まってしまう。 技術なんて追求したってしょーがねーじゃん、って。

この考え方の最低なところは僕に実績がない以上単に技術力がないことの言い訳にしか聞こえないというところで、まあ実際単なる言い訳なのかもしれない。 あと、表現と技術はタマゴとニワトリの関係みたいなものだから、技術から表現が生まれることもあるし、表現から技術が生まれることもあるという現実をあまり重要視していないようにも思える。 結局、表現することへの欲求が薄れてきているということに尽きるのかもしれない。

まあなんにせよ、恵まれた悩みだと思う。 何か自分なりに土台を組み立てるところから始めないといけないのかも知れない。 一足飛びに何かをつかめるとは思っていない。 意味を失った世界に意味を与えるようなものだ。

自分がこんなにおっさんになるなんて思っていなかったし、今だってあまりリアリティーが無い。 こんなにありのままの文章を書くおっさんはダメだろうと思いつつも、それをやめたら何となく自分じゃない気がするのでやはり書いてしまう。こういうところはずっと変わっていない。

そういうことを酔っ払いながら書いている。