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"ソドムの百二十日間"を読み終わった

何故か話の流れでこの本を借りる事になり読み始めたが最後、ページ一杯の冒涜的な文章を400枚ほど読むはめになる。

ソドムの百二十日

ソドムの百二十日

著者名をみれば明らかなように、いわゆるサディズムの語源となった人間の書いた本である。 とはいえ、取り扱う内容はサディズムに限らず倒錯的なものを多数取り扱っている。

内容としては、男性向け古同人誌コーナーに赴きなるべく酷そうなものを70冊ほど購入した上で裁断しシャッフルし、こういう感じの文章を書く人に再構築させたら多分それらしい雰囲気になると思う。

つまり、明らかな意図を持って物語の構造が設計されているということと、そのくせ内容は支離滅裂かつ描写は執拗かつ冗長で、やはり著者は頭がおかしくなっていたのだとしか思えない。

前半は比較的ソフトな内容が続くのでまあこんなもんかと思っていたらどんどん内容が酷くなっていって中盤はずっとうんこを食べているし、後半に至ると最早常に殺人が続いているというような有様で200年以上前にこのような小説が本当に出版されていたのかとただただ驚くばかりである。この分野の表現はそれほど進歩していないのではないだろうかと考えさせられる。

登場人物たちが何故途中で反旗を翻さないのか理解できないが、サドにとって彼らは単なる演出の道具であって、作中に登場する人間とは主人公格の4人だけなのだろう。

2部以降は草稿という形で収録されているが、そもそもこのような支離滅裂な小説に草稿というものがあるというのが先ず驚きで、"椅子に座らせ激しく回転させて遂には殺してしまう"とか滅茶苦茶なことが書いてあっておもしろい。

特に哲学についての感想などは書かないけど、善悪や美醜といった状態がこの世の中に"在る"のではなく、あくまで相対的なものとして際立った結果認知され得るものであるという捉え方だというふうに感じた。 それはきっと当時のキリスト教的な絶対善と絶対悪の存在を信じる価値観の中においては異端だっただろう。

サドの小説をこれ以上読もうという気には到底なれないけれど、なんというか思想の骨子のようなものを目の当たりにすることができるので、教養として1冊くらいは読んでみても良いのではないかと思った。

そんな教養が何の役に立つのかという意見もあるだろうけど、少なくとも僕にとっては例えばここ1〜2年ほど気にしている、

永い後日談のネクロニカ

永い後日談のネクロニカ

こういうTRPGなどで非常に役に立ちそうだという実感を得ている。 このTRPGはまさにこの小説の構造の中で遊ぶようなもので、近しい要素が非常に多い(つまり、このTRPGは相当ひどい)。

何にせよひどい内容の本であることは確かで、疲れたので、しばらくはマトモな本を読みたいと思っている。